蓮華と荼毘にふすという言葉のマナー
蓮華は仏教の伝来と共に中国からやってきた言葉で蓮や睡蓮の総称でもあります。泥沼に生じて美しい花を咲かせることから、古来より仏の悟りをあらわす仏教のシンボルとして親しまれてきました。お盆のお供え物をはじめ仏事になくてはならない蓮華ですが、色や形にはそれぞれ意味があるのをご存じでしょうか。また、葬儀で使用する言葉の中には日常生活ではあまり使用しないためにきちんとした意味や使い方がわからない用語が多くあるかともいます。そのような言葉の中の一つが「荼毘に付す」ではないでしょうか。
今回の記事では、蓮華と荼毘にふすという言葉のマナーを詳しくお伝え致します。
荼毘に付すの読み方と意味のマナー
まず始めに、荼毘の読み方とその意味をご紹介いたします。荼毘は「だび」と読み、遺体を焼いて弔うこと…つまり火葬を意味する仏教用語です。荼毘には葬儀の意味も含まれますが火葬は「葬」の字が使われていながらも葬儀・告別式をするという意味は含まれません。「荼」は曼荼羅(まんだら)にも用いられる漢字で、雑草を表すほか苦しみや害悪という意味があります。「毘」は金毘羅(こんぴら)にも用いられる漢字で助けるという意味があります。
荼毘に付すは「だびにふす」と読み、日本では「火葬すること」を意味しています。通常人が亡くなられた後にはお通夜式が営まれ、その後にご友人や会社関係者などにもご会葬いただく葬儀・告別式が執り行われます。葬儀・告別式の最後には出棺し故人様のご遺体を火葬場で火葬する事になります。この火葬を執り行うことを荼毘に付すと呼ぶということです。
語源は古代中西部インドの言語であるパーリ語のジャーペーティと南アジアやインドなどで使用されていた古代語のディヤーパヤティという言葉の音を取ったとされています。どちらの言葉も「燃やす・火葬」を意味する言葉で、それぞれ仏教の経典に使用されていた言葉でもあることから仏教では火葬が正式な方法となり火葬のことを「荼毘に付す」となったとされています。
荼毘に付すは故人様のご遺体を火葬することだけを意味する為、葬儀式場で故人様を偲ぶことや出棺してご遺体を火葬場に運ぶ行程は基本的に含まれません。しかしながら「荼毘に付す」という言葉は法律で定められている用語ではないため、人によって意味の解釈に多少の開きがあります。そのため場合によってはご遺骨を納めることまでを指す場合もあるということを頭に入れておくと良いでしょう。
荼毘に付すの使い方のマナー
荼毘に付すという言葉は前述したように火葬を執り行うことを意味するため、使う場面はかなり限られます。しかし、使用する際には注意点があります。ここからは荼毘に付すを使用する際のの注意点についてお伝え致します。
荼毘に付すという言葉は、先に取り上げたように火葬を表す「仏教用語」になります。そのため、神道やキリスト教などの仏式以外の宗教の葬儀では使用しないようにしましょう。仏式以外の宗教で弔った場合はその宗教に合わせた正しい言葉を使用しましょう。
また、犬猫をはじめとしたペットは大切な家族の一員です。近年ではペットが亡くなった際に火葬をする方が増えてきました。荼毘に付すはそのような状況から、大切なペットを火葬する際にも使用されるようになってきました。
荼毘に付すに関連して知っておきたいのが「荼毘葬」になります。荼毘葬は通常の葬儀のように祭壇に飾りや生花を置かず、できるだけシンプルに故人様をお送りすることを主旨として執り行われる葬儀を指します。荼毘葬は比較的古い表現であり、現在では直葬という表現が一般的となっていますが、仏教用語をしっかりと使用されたい場合は「荼毘葬」を使用される方もいらっしゃいますので覚えておくとよいでしょう。
荼毘に付すの類語のマナー
ここまでで荼毘に付すは火葬を表す「仏教用語」だということをお伝えしてまいりました。そのため、仏式以外の葬儀ではこれを言い換える言葉を使用しなければいけません。ここからは「荼毘に付す」の類語をお伝え致しますので併せて参考にしてください。
- 見送る・天に召される
- 荼毘に付すの類語として最も一般的な言葉が「見送る」と「天に召される」になります。
見送るは「あの世へとむかう故人様を見送る」、天に召されるは「火葬によって魂が天へと昇る」というような意味合いになります。 - 使い方としては「父が本日、天に召されました。」や「無事に本日、 父を見送りました。」などといったようになるでしょう。
荼毘に付すの類語に泣きながらご遺体を棺に納めて葬ることを表す「葬斂」という言葉があります。
葬斂は亡くなられた方を埋葬または火葬したりお墓に納める一連の儀式を指します。火葬をするという意味をもつ荼毘に付すと異なる点としては「泣きながら辛い気持ちで故人様を棺などに納める」という行為に加え悲しく辛い気持ちを表す意味が含まれている点になります。あまり一般的な表現方法とは言えませんが、使用する際はご家族や近しい方が亡くなられて別れを惜しむような状況で使用するようにしましょう。
蓮華のマナー
蓮華(れんげ)は仏教の伝来と共に中国から日本に入ってきた言葉で、仏教においては「尊い仏の悟り」という意味があります。また、一般的には仏教の祖である仏陀の故郷インドを原産国とする「蓮・睡蓮」の総称としても知られています。これらの植物は仏教のシンボルとして尊ばれていて、仏教寺では主要な仏さまが蓮華の形を模した「蓮華座」の上に安置されています。
「泥中の蓮華」「蓮は泥より出でて泥に染まらず」などの古いことわざは、泥(俗世)に生れても大輪の蓮華(悟り)を咲かせる蓮の花姿と仏教理念を重ねたもので、元来は中国の成句から生れています。中国から日本に伝わった蓮華とは、基本的には花が水面に触れない蓮のことであると考えられていて、蓮を清らかさの象徴とするのはヒンドゥー教の概念の影響を受けています。また、観音様が手に持っている一輪の花は「未開敷蓮華(みかいふれんげ)」と呼ばれます。今にも咲きそうな蓮の蕾を表現したもので、悟りを約束されながらも菩薩として働く観音様の姿をあらわしています。修業を経て悟りを得た状態を表現したのが、開花した蓮華を意味する「開敷蓮華(かいふれんげ)」です。
蓮と睡蓮の違いのマナー
蓮は6月下旬から8月初旬に咲くハス科の植物で日本でも古くから夏の季語として親しまれてきました。早朝から咲きはじめて数時間でつぼみに戻り開いては閉じるを繰り返しながら3日ほどで散ってしまい、花が散った後の花托(花の付け根)の形が蜂の巣に似ていることから「蓮(はちす)」と名付けられ、転訛して現在の「はす」になったそうです。一方、蓮とは別の植物であるスイレン科の「睡蓮(すいれん)」も同じく蓮華と呼ばれることがあり、蓮華の英名である「Lotus(ロータス)」も睡蓮に由来しています。花の形が蓮に似ていることや蓮に比べて開花する時間が遅いことから眠る蓮として睡蓮の字が当てられました。また、未の刻(13~15時)に花が開くという意味で、日本の在来種には「未草(ひつじぐさ)」という古名もあります。
蓮と睡蓮はどちらも水の中に根を張って水面に葉や花をつける抽水植物です。以前は同じスイレン科に属していましたが、現在では別の系統の花であることが分かっています。花の形状やサイズ感が違うため実際に見比べれば見分けることは簡単ですが、育つ環境がよく似ていることから混同されることも少なくありません。生育初期の段階ではどちらも水中から芽を出して浮き葉となりますが、蓮は上に向かって高く伸びる立ち葉が特徴で葉は表面にツヤがなく円形状であるのに比べて、睡蓮の葉はそのまま水に浮き葉は光沢があり大きく切れ込みが入っているという違いもみられます。
蓮と睡蓮の色のマナー
お伝えしてきた様に別の植物である蓮と睡蓮が「蓮華」で一括りにされていることには、さまざまな宗教文化や歴史とも関係が深いようです。
お盆の飾りやお供え物で見かける蓮華の中は白やピンク・水色・黄色といったようにカラフルですがそれぞれの色にしっかりと意味があります。
仏教経典の「摩訶般若波羅蜜経」には、「白蓮華(びょくれんげ)・紅蓮華(ぐれんげ)・青蓮華(しょうれんげ)・黄蓮華(おうれんげ)」の四種類が記述されています。その中でも特に仏教で重要視されているのが煩悩に穢されることのない清浄な仏の心をあらわす「白蓮華」と、仏の大悲(だいひ)から生じる救済の働きを意味する「紅蓮華」で、いずれもお釈迦様の故郷に咲いていた「蓮」です。一方、「青蓮華」と「黄蓮華」は睡蓮のことで、睡蓮にはさらに「温帯種・熱帯種」の二種類があります。青や紫といった鮮やかな色合は熱帯種の特長で古来よりインドで崇拝されていた神々の象徴が後に仏教に取り込まれました。